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<Japanese translation of the document of this post>秘密太平洋地域統合情報センター(JICPOA)海軍No.128c/o海軍郵便局サンフランシスコ/カリフォルニアJICPOA予備尋問調書NO.4名前 キム・ヒョンガム(朝鮮名) 金山マサオ(日本名)身分 民間人識別番号 3353所属 海軍愛国作業団担当職務 班長捕虜となった日と場所 1943/11/23、タラワ1 前文 この捕虜は、朝鮮のホーカイ道ホーザン郡(翻訳者注:黄海道の鳳山郡のこと?)キエ面シンイン里6番地で1919年1月31日に生まれた。彼は結婚しており、7歳と4歳の二人の息子がいる。父は死亡しており、母は48歳である。23歳の弟がいる。彼は小学校(6年)を卒業してソウルの中学校に通っていたが、父の死によって故郷に帰って仕事をしなければならなくなった。 この捕虜は、彼の父が行っていた運送会社で、それが1941年に日本人によって閉鎖されるまで働いた。その時、朝鮮における運送業は、日本の代表的な運送会社であるマルツウ商社の朝鮮支店であるマルボシ商社を除いて全て閉鎖された。会社が閉鎖されるまで、彼は月に50~60円の利益を得ていた。その後、彼は大阪毎日新聞を彼の近隣地域に配達する販売店の仕事を始めた。この仕事は大して利益にならなかったため、彼は5人の朝鮮の女性による小さな売春宿の仕事を始めた。彼はこの仕事で月に300~400円を稼いだが、親としての立場から、その地域を離れて女性たちと共に満州国へ行くことにした。 彼は、まず新京の一つ前の小さな駅であるトゥンサンマルへ行き、そこで友人宅に数日滞在した。彼はそれから牡丹江に行き約2か月滞在し、さらに一行と共にPEIANSHENG、SHENSHUに進み、4か月滞在した。この間、彼は近辺の朝鮮人労働者たちにサービスを提供した。彼の収入は毎月1,000円ほどであった。彼は満州国にのべ8か月滞在した後、冬の強烈な寒さと淋病が現れたことにより、1942年11月にこの利益の多い仕事をやめて故郷に戻った。 それから彼は「海軍愛国作業団」に入った。彼は世界を見たいと考えてこの組織に入った。彼は1年契約の短期雇員であった。彼の班長としての給料は月に145円だった。彼は教育があり日本語をうまく話すことができ、また商売の経験があったことから班長に選ばれた。2 時日経過 (略)
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ReplyDelete秘密
太平洋地域統合情報センター(JICPOA)
海軍No.128
c/o海軍郵便局
サンフランシスコ/カリフォルニア
JICPOA予備尋問調書NO.4
名前 キム・ヒョンガム(朝鮮名) 金山マサオ(日本名)
身分 民間人
識別番号 3353
所属 海軍愛国作業団
担当職務 班長
捕虜となった日と場所 1943/11/23、タラワ
1 前文
この捕虜は、朝鮮のホーカイ道ホーザン郡(翻訳者注:黄海道の鳳山郡のこと?)キエ面シンイン里6番地で1919年1月31日に生まれた。彼は結婚しており、7歳と4歳の二人の息子がいる。父は死亡しており、母は48歳である。23歳の弟がいる。彼は小学校(6年)を卒業してソウルの中学校に通っていたが、父の死によって故郷に帰って仕事をしなければならなくなった。
この捕虜は、彼の父が行っていた運送会社で、それが1941年に日本人によって閉鎖されるまで働いた。その時、朝鮮における運送業は、日本の代表的な運送会社であるマルツウ商社の朝鮮支店であるマルボシ商社を除いて全て閉鎖された。会社が閉鎖されるまで、彼は月に50~60円の利益を得ていた。その後、彼は大阪毎日新聞を彼の近隣地域に配達する販売店の仕事を始めた。この仕事は大して利益にならなかったため、彼は5人の朝鮮の女性による小さな売春宿の仕事を始めた。彼はこの仕事で月に300~400円を稼いだが、親としての立場から、その地域を離れて女性たちと共に満州国へ行くことにした。
彼は、まず新京の一つ前の小さな駅であるトゥンサンマルへ行き、そこで友人宅に数日滞在した。彼はそれから牡丹江に行き約2か月滞在し、さらに一行と共にPEIANSHENG、SHENSHUに進み、4か月滞在した。この間、彼は近辺の朝鮮人労働者たちにサービスを提供した。彼の収入は毎月1,000円ほどであった。彼は満州国にのべ8か月滞在した後、冬の強烈な寒さと淋病が現れたことにより、1942年11月にこの利益の多い仕事をやめて故郷に戻った。
それから彼は「海軍愛国作業団」に入った。彼は世界を見たいと考えてこの組織に入った。彼は1年契約の短期雇員であった。彼の班長としての給料は月に145円だった。彼は教育があり日本語をうまく話すことができ、また商売の経験があったことから班長に選ばれた。
2 時日経過 (略)